「越前」説の根拠

Update : 1999.2.14


響子と五代が北陸旅行に発つ際に乗車した夜行列車は、いままで急行「能登」であるという説がほぼ一般的でしたが、くろべさんからの指摘をもとに調査をやり直した結果、この列車は季節運転の夜行急行「越前」であることがほぼ確実になりました。
以下にその理由を説明します。

1.発車時刻の問題

「二人の旅立ち」16ページ目には21時15分頃を指している時計が描かれています。
響子さんがしびれを切らして店を飛び出すのはこの後なので、夜行列車の発車時刻もこれ以降でなければならないはずですが、1985年7月当時の「能登」は上野発21時01分でした。これでは間に合いません。
一方、「越前」の発車時刻は21時26分であり、問題はありません。

2.使用車両の問題

原作に描かれている車両は明らかに急行形の12系客車がモデルですが、当時「能登」の座席車に使われていた車両は特急形の14系客車でした。
一方、「越前」は12系客車6両編成で運行されていたことが確認されています(「鉄道ダイヤ情報」1985年夏号による)。
当初このページでは、「能登」の客車形式の違いを「リサーチミス、あるいは意図的な書き換え」として処理していましたが、実際に12系を使用した列車が存在した以上、その可能性は低いと考えるべきでしょう。

3.発車ホームの問題

「二人の旅立ち」17ページ目に響子さんがホームに向かって階段を駆け上がっていく絵が描かれていますが、「能登」は上野駅地上ホーム(13~18番線)の14番線発車でした。地上ホーム部分に地下道は存在しません。
この点でも「越前」は高架ホーム(1~12番線)の9番線発車であり、有名な中央改札から入場すれば、ホームへは絵の通り階段を上っていくことになります。

  1985年7月の信越線時刻表
出典:弘済出版社刊 大時刻表 1985年7月号
この時刻表画像データは当ページにおいて資料目的に使用することを条件に公開を許可されたものです。従って他所への転載は固くお断りします。

北陸旅行に関する考察はいくつか存在するようですが、夜行列車に関して「越前」の名前が出てきたのはこれが最初だと思います。
恐らく「越前」が季節列車であり(昭和57年までは定期列車でしたが)、また昭和63年以降「能登」に吸収されて愛称が消滅してしまったことも見落とされていた原因なのではないでしょうか。
(その前にこんなもの調べるヒマ人がいなかったというのが一番の理由かも)(^^;

ただし、「二人の旅立ち」20ページ目で描かれている夜行列車の走行風景は、機関車や客車の描写からして急行「八甲田」ではないかと思われます。
(機関車は先頭部の塗り分け、通風口、縁の太いテールライトからEF65PF初期型、客車は横長の窓から14系客車と考えられます)
なぜここで唐突に「八甲田」が出てくるのかは分かりませんが、「夜行急行の写真」ということで編集部が手配した資料写真がたまたま「八甲田」のものであったとか、その程度の理由ではないでしょうか。特別に意味があるとは思えません。

なお、今回の調査に全面的なご協力をいただいたくろべさんに、この場を借りて感謝申し上げます。


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