みなさまからのご意見集

Update : 1999.2.14


このページには、1997.12.21から1998.7.22までにいただいたご意見とそれに対する回答、15通分を掲載しています。


めぞんな景色の写真公開しました (1998.7.22 T.N.さん)
八神の恋……? (1998.7.22 かっちぃさん)
めぞんのDVDは出ないの? (1998.6.20 栗山拓志さん)
一刻館平面図について (1998.4.16 いちろうさん)

響子さんの等身大ポップ? (1998.4.9 チョジョンミンさん)
桜の季節 (1998.4.2 tokさん)
五代がタバコをやめたわけ (1998.3.30 けんぢさん)
設定集について (1998.3.13 奥村彰悟さん)

めぞんの放映された国はどこ? (1998.3.11 ヒロシさん)

めぞんを見る年頃……? (1998.2.25 川西春雄さん)
時計坂の写真公開しました (1998.2.12 東久留米市民さん)
時計坂に坂はあります (1998.1.4 東久留米市民さん)

時計坂のモデル (1997.12.26 M.Sさん)

韓国出身のめぞんファンです (1997.12.24 チョジョンミンさん)
五代家の場所 (1997.12.21 G.Oさん)


1998.7.22 T.N.さん

はじめまして、いつも楽しく拝見させてもらっております。

実は私も「めぞん」に描かれた風景を求めてさまよった人間でして(笑)、「管理人さん」「飛鳥杏華さん」「Selafish東京さん」のページに影響されて自分もHPを作ることを思い立ち、以前からあった写真に新しいものを加えて
http://www2.matsumoto.elec.waseda.ac.jp/~tachiki/hobby/hobby.html
にこのほど開設しました。どちらかといえば細かい部分の写真が多めです。よろしかったら是非立ち寄って見て下さい。

それにしても、金沢まで旅行に行ったのが自分だけではなかったことを知ってほっとしました(笑)。


管理人から

 管理人も見せていただきましたが、渋谷や新宿といった都心部の写真が豊富で、大阪在住の私にとって非常にありがたい資料となっています。また、東久留米を一望できる高台(時計坂のモデルか?)の写真、さらにその場所の10年前の様子が分かる再現写真など、興味深い写真がいくつも掲載されています。ページ自体はまだ製作途上の感が強いですが、みなさんも一度行ってみて下さい。

※追記(1999.2.14)
上記のページは現在閉鎖されていますが、サーバーを移転し
めぞん一刻情報室として新装開店しております。内容も大幅に増えていますので是非一度ご覧下さい。

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1998.7.22 かっちぃさん

八神って娘は、やはり恋に恋する乙女でしかなかったのかなぁ。
結構すきなキャラクターだったので…どう思われます?


管理人から

 うーん、難しいところではありますが・・・少なくとも「その気配が強い」ぐらいのことは言えるかと思います。すでに多くの方が指摘されていることではありますが、彼女の行動は熱病に浮かされたように盛り上がっておいて、ちょっとしたことで簡単にさめてしまう傾向がありますよね。五代に対しての型にはまったアプローチ、響子を恋敵と認識したとたんに過激さを増す行動、自分の行動に酔っている部分など、「恋に恋する」を裏付ける証拠は数多くあります。
 ただ、それが100%だったとは言い切れないですね。部分的にではあっても、八神の気持ちは本物の恋に踏み込んでいたと思います。ただどちらかというと、彼女はその部分を持て余していたのではないでしょうか。五代が教育実習を終わるとき、せっかくきれいに別れを演出したのに、その直後に舞い戻ってきてよりを戻してしまった場面は、そのことを象徴しているように思われます。
 ちなみに、八神が響子に向かって「弱虫!」と叫んで、そのまま五代の前からも姿を消してしまう場面、あそこでの八神の心情を私は未だに計りかねてたりするのです。(^^;

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1998.6.20 栗山拓志さん

大学生になるまで漫画を読むという週間を持ってなかったのですが、友人宅で当時連載中のめぞん一刻(単行本の第2巻だったと思う)を見てから登場人物たちの会話の妙(話の掛け合いの面白さに惹かれ、月2回のスピリッツの発売日をじれったく思いながら待っていたのを思い出します。
5年ほど前だったかフランスに出張に行ったときにTVアニメを放送していてうれしくて画面を写真に撮ったと思うのですが、どこかに埋もれさせてしまったようです。(他の海外出張と間違えてるかも)
ところでTVアニメ版がLD/VIDEOで再発売になるようですがDVDでの予定はないのでしょうか?DVDは方式の都合からアニメに向いているし長時間収められるので期待しているのですが...


管理人から

 鳴り物入りで登場したDVDですが、ソフトの少なさと規格争いが災いしてか今に至るまで出足は低調です。ソフト数はそれなりに増えつつあるのですが、DVDオンリーなんて勇気ある(=無謀な)選択をする会社は見あたらず、LDを置き換える日はまだ当分先のようですね。思い起こせば2年と半年前、めぞんのLDが再販されると聞いた管理人が、これをすぐ買うべきかDVDが出るまで待つべきか真剣に悩んだのも今となっては懐かしい想い出です。
 これは管理人の個人的な予想ですが、TVアニメのDVD版はいつか出ると思います。ただしそれが来年のことか、はたまた5年後になるかは、残念ながらメーカーの気分次第、予想は出来ません。逆に劇場版やOVAなどは最悪このまま廃盤になる可能性も高いので、手に入れたい方は早めに手配するべきだと思います。

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1998.4.16 いちろうさん

はじめまして。
いきなりですが、一刻館平面図について思ったことを書きます。

1)1階と2階の柱が一致していない。
 これは管理人室を見れば分かりやすいですが、ここに2階のかどの柱が突き抜けていはずです、普通なら。3(?)階建なのでできなくはないでしょうが、コンクリートならともかく木造建築ならなおさら1階と2階の柱はどこもつながっているはずです。突き抜けないようにするためには管理人室を縦長にするか、横長にするかしないと部屋の中に柱が建つことになります。

2)管理人室の処置の提案
 裏庭側(余談ですが洗濯物を干していることから考えて一刻館は玄関が北向きじゃないでしょうか。)の壁面を面一にしたければ管理人室だけを東側にだしてはどうでしょう?管理人室が裏庭側に出過ぎているとそこにかかる屋根の傾斜を浅くしないと4号室の窓が埋まってしまいます。東側なら遠慮なく屋根がかけられるし。

3)デッドスペースがある。
 押し入れの位置や大きさから考えて図のようにするしかないのですが、現実的には押し入れは隣の部屋とたがいちがいになるようにあるでしょう、アパートとかを見れば。しかしここで問題が!一刻館は2階が奇数部屋なので5号室と6号室をそのようにすると4号室の押し入れの行き場が無い・・・と悩んでいたら屋根裏へいく階段を急にするとか(もともと屋根裏への階段だし)1階から2階への階段みたいに途中の踊り場で90度曲げ
て廊下の突き当たりに屋根裏へいく扉を設けてかせいだスペースを押し入れに使うという方法を思い付きました。とここまで考えたのはあくまでデッドスペースをなくすための方法でして漫画をみれば図のようになっているのは明白です。この意見は徹底的に現実的な建物をつくろうとするとそうなるという意見です。

4)物干し台の下
 ・・・は物置になっているじゃないでしょうか。物置が裏庭側にでているというのはどうでしょう。

5)1階と2階の大きさ(余談)
 漫画の最初のコマをみれば1階のほうが北側にでていることが分かります。といっても漫画も途中からは同じ大きさになってますが。(ちなみに私は漫画しかちゃんと見ていません。)

6)廊下の幅
 水場の分くらい廊下が広くなってもいいと思うのですが。(私は漫画だけしか・・わかったわかった。^^;)

とりあえずいま思い付くところはこのぐらいです。現実的なところを突き詰めていくとそれは一刻館じゃなくなってしまう恐れもあります。廊下の幅や部屋の広さなんかを考えると難しいですね。
また思い付くことがあれば書かせていただきたいと思います。ではでは・・・


管理人から

 いやー、こういうつっこみを待っていたのです。これだけの問題点を考えてまとめるのは大変な作業だったでしょう。どうもありがとうございます。
 では、項目ごとにコメントをつけさせていただきます。

1)はなるほど盲点でした。部屋の仕切り壁程度ならともかく、建物の隅柱が貫通していないのは大問題ですね。2)のご指摘ともあわせて、管理人室を横長に設計し直すのがいいでしょうか。ただ、そうすると管理人室の押し入れが行き場を失ってしまうんですよね。うーん困った。

3)は……私にはどうしようもないです(^^;)。大体こんなアパートのような建物の場合、部屋の配置は各階共通なのが常識だと思うのですが……いやいや一刻館相手に常識を持ちだしても始まらない(笑)。

4)は、アニメ第5話に土台まで櫓(やぐら)組になっているカットがありまして、それを参考にしました。物置という手はありだと思いますが、私の図では階段下のデッドスペースを倉庫として処理しましたので、わざわざ張り出しを設けて物置を作らないでも……というのはありますね。ところで、こうした木造家屋での物干し台の処理って、実際はどうなっているんでしょうか。私は実例をほとんど見たことがないのです。

5)はその通りです。ほんっとーに最初の1カットだけなんですが。余談ながら原作の「支え柱なしで瓦葺きのひさし」というのは強度的にほぼあり得ないですね。

6)はまあそれぞれの好みというところですか。トイレ部分の処理とあわせて考えると、出窓にしない方がかえっていいかも知れません。

 とりあえず管理人室の処理については再検討してみます。それ以外の部分については、まあ私の気分次第、ということで……(えらっそーなやつ)。(^^;

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1998.4.9 チョジョンミンさん

 先日、模型専門雑誌を読んでいたときに気付きましたが、どうやらPanaHomeの例のCMに関するめぞんグッズがあるようです。とは言っても非売品の響子さんの宣伝用の等身大ポップだそうです。気になって駅前の住宅展示場などを見回してみたのですが、それらしきものは発見できず、なんとなく気になりますね。誰か写真などに収めた方はいないでしょうか。^-^
 そう言えば、ちょっと前のことですが、秋葉原に買い物にいったところ、マイクロキャビン社のWIN95版にリニューアルされたあのめぞんのパソゲーが定価より1万円近く値下げされて売られていました。定価で買った僕は悔しいやら悲しいやら。。。元がやはり高すぎたのでしょうか。まだまだかなりの売れ残りがあるようで。


管理人から

 響子さんの等身大ポップ……欲しい……(笑)。しかしこんなに時間が経ってしまっちゃ、たとえ存在したとしてももう別のものに置き換えられているでしょうね。もしご覧になった方がおられたら、情報をいただきたいと思います。
 パソコンゲームは私も定価で買ったりしちゃいました(^^;)。しかもDOS/V機が手配できず未だにプレイしていません(爆)。もうこうなると末期症状ですね。まあ末期症状でなければこんなホームページを作ったりしちゃいないはずでありますが。(^^;;;

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1998.4.2 tokさん

 ふと、気が付くと、季節はもう春ですね。桜がそろそろ満開になって、きれいな姿を見せてくれる時期です。春の桜はめぞん一刻にとって、切っても切り離せない重要な存在。めぞん一刻の物語のキーとなっていたシーンでの、あのせつなさとはかなさが入り交じったような雰囲気を持つ情景を週末にでも探しに行こうと思います。


管理人から

 このご感想だけはすぐにでも載せたかったのですが、結局かなわずに桜の季節が遠く過ぎ去ってしまってからのコメントになってしまいました。ほんとに残念です。
 それはさておき、確かに「めぞん一刻」に「桜」は欠かせません。私などは逆に「桜」と聞いて「めぞん一刻」を連想してしまうほどで少々困ってます(でもそんな人結構多いのでは、なんて)。
 狂おしいほどに美しく、しかもはかなく散ってしまう桜花。それは明らかに、惣一郎さんとの短い幸せを暗示するものでした。しかし作品のラスト、惣一郎さんの墓前で舞う花は、それとは違う何かを示しているはずです。あれは、幸せというものがもろくはかないものだと分かって、それでもその幸せをつかもう、生きていこうと決心した響子さんへ、作者が贈った祝福の花吹雪だったのではないでしょうか。私にはそう思えます。

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1998.3.30 けんぢさん

 はじめまして、めぞん一刻はリアルタイムで見た記憶がないのですが、昨年大阪で放映された再放送を見て感動し、就職活動中であったにもかかわらず原作を買いハマってしまいました。そのおかげで「もしかしたら五代君みたいに就職浪人するのもいいかもしれない」と危険な考えが頭をちらついてたほどです。
 ところで、くだらない質問なんですけど、五代君って最初の方はタバコを吸ってましたよね。それが確か人形劇部に勧誘された時以降吸わなくなったと思うんですけど、これって何かはっきりした理由があるんでしょうか。とりあえず3個ほど自分なりに理由を考えてみました。
 1.浪人なのでストレスが溜まっていた
 2.さわやかなイメージで管理人さんに迫りたかった
 3.単にタバコも買えないほど貧乏だった
3番が妥当なところだとと思うのですが、本当の理由やこれ以外の意見があったら教えて下さい。ホントにどうでもいい質問でごめんなさい。
 ではまた。就職活動頑張って下さい。


管理人から

 このご質問をいただいたのとほぼ同時期に、偶然めぞんMLで同じ話題が出ていました。まあそちらの方でも明確な結論が出たわけではないのですが、その時ある方が「五代にタバコは似合わないと思う。彼にはどこか『さわやか』なイメージを残しておいてほしい」というような発言をされておられました。私もその意見に賛成です。
 五代がタバコを吸っても、様になっていませんよね。タバコをくわえたり、指ではさんだりしていればカッコがつくと思っていたのかも知れませんが、どう見ても背伸びしているようにしか見えません(現実でもそんな人が大勢いますね)。彼がタバコをやめたのは賢明だったと言えるでしょう。たとえ真実がけんぢさんのおっしゃる「3番」だったとしても。

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1998.3.13 奥村彰悟さん

はじめまして。私もめぞん一刻が大好きで、終了する頃は高校生だったのですが、学校に持っていって、先生に見つからないようにこっそりと鑑賞していました。

とてもよくお調べになっていると思います。しかし、3つ意見を書きます。
■一刻館の見取り図について
 五代君が骨折したシーンから考えて、一階と二階との大きさが変わらないとは考えられない。ただし、私も不思議だったのですが、ふつうに考えると、管理人室の処理に困るのですよね。うーん。余談ですが、結婚するまで管理人室には、鍵がかかっていなかったのですよね。若くてきれいな女性が独りで住むには非常に不用心でしょうに。
■一刻館の住所について
 架空の街「秋津市」をあげておられますが、原作でも、たしか「練馬」の宛名が入っているハガキがあるはずです。(五代君が北海道から送ろうとした手紙)とすれば、やはり練馬だと思うのですが、これまた、東京23区内だとちょっと都合が悪い部分が出てきます。(どことは具体的に言えないのですが)とすれば、あまり、どこだとは断定しないで、あくまでも架空の街とする方がいいでしょう。
■推論の過程について
 原作にこだわらず、テレビアニメや映画の完結編を用いて推論されていることはとてもいいことだでしょうが、やはり、原作だけで推論した方がいいです。
というのも、アニメは、あくまでもアニメで、原作とは違うということ。つまり、原作ではわかりにくいために、わざと付け加えた可能性があるということです。これには、高橋留美子先生の意見が加わっていないおそれがあります。
映画の完結編も同じです。ですから、原作だけで推論し、分からないところはそのまま保留にするという方がいいのではないでしょうか。


管理人から

 この質問にお答えする前に、「勝手に設定」ができたいきさつについて説明しておいた方がいいと思われますので、少々長いですが書かせていただきます。
 「勝手に設定」は、元々ノベライズのために作られました。全てを文章で説明しなければならないノベライズでは、原作やアニメのようなアバウトな設定は使えません。たちまちボロが出てしまいますし、名前の分からない人物をいちいち「音無の義姉」だの「響子の父」だのと書いていてはまどろっこしくてしかたありません。そのため、半分は必要に迫られて(後の半分はおもしろがって)「勝手に設定」を作ったのです。
 そしてその設定については、「私の好み」というものを多分に取り入れました(だから「勝手に設定」なのです)。原作とアニメで矛盾する設定がある場合、杓子定規にそのどちらか一方を限定して採用するのではなく、私の中にある「めぞん一刻ワールド」のイメージに照らしてより自然に感じられる方を採用してあります。根拠なしで設定した項目も、そのイメージの延長線上に連なるよう、気を遣って作り上げました。つまり「勝手に設定」は、確認された事実による設定集と言うよりは、私自身の「めぞん一刻」イメージの表出とも言えるものなのです。
 その後ホームページを開設するにあたって、それまで原作の設定に関する果てしない論争(元がアバウトなんですから果てのあるわけはないですね)を見ていた私は「こんな解決の仕方もあるんじゃないですか」と提案するつもりで「勝手に設定」を公開したのです。そしてある程度の支持は得られたと思います。ただし、上で述べた「勝手に設定」の意図がいまいち伝わっていない部分があること、そしてこのギョーカイは元々オリジナル志向が強く、私自身も一方でその尻馬にのっかっている部分がありますので(例えば「時計坂`97」など)、この企画の位置づけ自体が中途半端になっているのは否めません。この点は今後の検討課題です。

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1998.3.11 ヒロシさん

 10年前からのめぞん一刻ファンです。このホームページを発見したときは感激しました。すごく充実した内容で楽しく拝見させていただいてます。
 ところで先日、イタリア旅行に行ったところ、めぞん一刻がテレビで放映されてました。(もちろんイタリア語で、でも主題歌は日本語でした)ひさびさなのですごい感動しました。観光を早めに切り上げてテレビの前にかじりついていました。
 そこで質問。いままでにどの国で放映されたかご存じでしたら教えて下さい。五代と響子が僕たちに与えてくれた感動を、世界中の人々にも分けてあげたいですね。


管理人から

 旅先での劇的な再会ですね(笑)。日本国内での話ですが、私自身も津軽半島の金木(太宰治の生誕地)で偶然見つけたレンタルビデオ屋に「めぞん一刻」のTVアニメ版が置いてあるのを見て、最果ての地で親しい友人に偶然出会えたような気持ちになったのを覚えています(金木の人ごめんなさい(^^;))。
 さて、ご質問の放映国ですが、残念ながら現在当方には資料がありません。版元の小学館に問い合わせれば多分わかるでしょうが、これは今後調査を進めて、資料が得られた時点でご回答させていただきたいと思います。いましばらくお待ち下さいませ。

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1998.2.25 川西春雄さん

ちょうど僕が、小学6年の受験シーズンで、テレビを見せてもらえなかった時期に、放映されました。今思えば、無理にでも見ておくべきだったと思います。そのくらい僕にとっては、人生が変わるほど、大切なものであったと思います。


管理人から

 川西さんはその後、TVアニメをご覧になれたのでしょうか。もしまだなのでしたら、ぜひビデオレンタル等を探して、見ていただきたいと思います。出来についていろいろと議論もある作品ですが、原作とはまた別の味もあって、私は気に入っています。
 ただ私が少々気にしているのは、小学6年という年齢で「めぞん一刻」のモチーフが果たして理解できるのかな、というところです。特に原作の最終巻(笑)。最終巻はともかくとしても、最愛の人を失った悲しみ、そしてそれでもなおその人を愛し続ける響子さんの気持ちというものが、小学生の年代で理解できるのでしょうか。私自身の体験に照らしてみると、ちょっと無理があるように思います。
 私は、大学浪人をしていた頃に初めてこの作品を読みました。そしてみなさんもお分かりの通り、非常に強く影響を受けました。その時の私が19歳で、五代と同じ浪人の立場にあったということが、この作品に強く共鳴できた大きな要素のひとつだと思います。リアルタイムで作品に接していなかったことはホームページの管理者として、また泥沼にはまった一ファンとしても(笑)結構大きなハンデなのですが、私は後悔はしていません。私にとって一番いい時期にこの作品に出会えて、よかったと思っています。
 川西さんのお話からは少々ずれてしまいましたが、ちょうどめぞんML上でも似たような話が出ていて、私なりに考えていたことでしたので、こうしてここに書かせていただきました。

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1998.2.12 東久留米市民さん

Solafish東京のホームページの管理人です。
「めぞん一刻ホームページ」「飛鳥杏華さんのホームページ」に影響を受け、一ヶ月半かけて、自分の記憶と、今の東久留米の街と、めぞん一刻のコミックを比べて、改めて、東久留米を歩いて「めぞん一刻」の中に出てくる時計坂の面影を探してみました。
探してみると、「めぞん一刻ホームページ」「飛鳥杏華さんのホームページ」のどちらのホームページにも掲載されていない時計坂の風景を見つけましたので、今回「Solafish東京」のホームページに展示してみました。
「Solafish東京」 URL http://village.infoweb.ne.jp/~fwhn1916/index.htm
ここに展示しておきました。
よろしければ、ちょっとのぞいてみてください。


管理人から

 下の指摘メールをいただいた東久留米在住の方が、とうとうご自分で時計坂の写真を公開されました(めぞんMLの方では私から告知したのですが、こちらでの紹介が遅れてすみません)。本当に貴重な写真がてんこ盛り、解説も地元の強みを生かした的確なもので大変有用なページです。画像ファイルが大きいのでページのロードに時間がかかるのが難点ではありますが、それを差し引いても価値のあるページだと言えましょう。

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1998.1.4 東久留米市民さん

このホームページの東久留米市の市役所の上からとった写真のあったページに書いてあったと思いますが、「時計坂のような坂は見あたらなかった」とありましたが、東久留米駅の北口を出てまっすぐの道(時計坂町簡易マップのHの前の道路)を道沿いに歩いていくと一刻館があったのではという感じの坂に当たります。
この道は途中Y字路になっていますが、Y字路を右に行くとそんな風景です。
(時計坂町簡易マップの左上の至新座市と書いてある下の交差点を地図上左へ)
しかも、黒目川を渡る橋の左手にはセサミテニススクールがあり、屋外テニスコートもあり、黒目川沿い(南側)にあるサイクリングロードに面しているため、五代くんのようにのぞけます。また、西側は舗装された道路で、こちらからものぞけます。
(連載当時は河原はサイクリングロードなんて整備されていませんでしたが、歩くことはできました。)
(時計坂町簡易マップPの上の橋の地図上左上あたりにあります。)
もし、高橋留美子さんが簡易マップ上Rのマンションに住んでいたなら、ここは目と鼻の先になります。また、このマンションの高い階に住んでいたなら、時計坂の上からの風景のように東久留米の街が見えます。
今現在は、新駅舎や西口開発により見えませんが、昔の東久留米(イトーヨーカドーが昔のたてものだった頃。つまり、80年代)を知っている人が、漫画の中の時計坂からの風景をみれば、「ああ似てるな」と思うはずです。
また、線路沿いの道をまっすぐ行くと坂にぶつかります。ここら辺も一刻館があったのではという感じの風景です。
そこから、考えると一刻館の住所は氷川台1~2丁目、金山町1~2丁目、上の原1丁目あたりと思われます。
東久留米は駅から南西方面は平坦な街ですが、駅の真北方面は1キロも歩くと坂です。

そして、管理人さんの就任1周年記念に五代くんがマ・メゾンという喫茶店に誘った話を覚えているでしょうか?
マ・メゾンは実在します。ただ、場所は西武新宿線花小金井駅の近くです。
「なんで、花小金井駅なの?」
と思うでしょうが、東久留米に住む人が西武新宿線、JR中央線の駅に行こうとするとみんな、花小金井駅、武蔵小金井駅を使います。
東久留米駅周辺住人はバス路線の東久留米駅~花小金井行き、東久留米駅~花小金井経由~武蔵小金井行きに乗るはずです。当然、高橋留美子さんが使った可能性は高いと思われます。
しかも、昔はバスのロータリーは簡易マップOの銭湯の南側にありました。Rのマンションからすぐです。
漫画のなかの、踏切をバスが渡る風景がありました。(今現在は、東口、西口、に新しいロータリーができて、このロータリーは廃止され踏切を渡るバスも見られなくなりました。)
旧市役所通りを通り、小金井街道を南に行くと花小金井駅の西の踏切を渡り武蔵小金井に向かいますが、その花小金井駅西の踏切のすぐ南側、バス通りの小金井街道に面しているところに、マ・メゾンがあります。
昔は花小金井駅の近くには喫茶店やファーストフードの店は少なく、2・3しかありませんでした。(今はマックやモスなどいろいろありますが、)その中でも、マ・メゾンは雰囲気を楽しむのには良い喫茶店でした。バス通りに面していることから、喫茶店に入らなくても、見ることは多いはずです。なんせ、開かずの踏切と言われているのでいやでも見ます。
また、花小金井駅東側の踏切を南側に渡ると小料理屋豆げんがあります。これは豆ぞうのモデルではないかもしれないけど、一応言っておきます。


管理人から

 東久留米在住の方から、詳細な情報をいただきました。いやあ、さすがに地元の方。しかもかなり前から住まわれているようで、連載当時の状況に即した内容も含まれています。私の調査の甘さも暴露されてしまったわけですが(汗)、そんなことはどうでもよくなるほど貴重な証言であります。
 ところで、実は私、去年の暮れに東久留米まで再取材に行ったんです。それはそれで収穫はあったのですが、新年早々にこのメールをいただいて脳天に大ショックを食らったのでありました。このメール、去年のうちにいただきたかったです……
 また絶対に東久留米に行ってやるぞと、闘志を新たにする管理人なのでした(その節はよろしくお願いしますね、なんて)。

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1997.12.26 M.Sさん

はじめまして。感想です。楽しく拝見させていただきました。
いきなりですが、時計坂のモデルについてです。
町並みは練馬の感じがしますが、アニメはオレンジ・黄色の電車が出てきますし、何しろ四谷、三鷹さんが登場するんです。中央線を頭に浮かべるのはごく自然かと。(根拠はないが)
そこで中央沿線でそれらしい駅について、考えてみました。

絵を見ると国鉄らしい絵と西武線らしい絵があります。この条件を満たすのは、武蔵境、国分寺ぐらいです。

私は時計坂は中央線「国分寺」をモデルにしているような気がします。「西国分寺駅」=西時計坂も実在し、今は改築されてしまいましたが、昔は国分寺北口からは、西武国分寺線へ階段無しで行けたのです。駅前の雰囲気も近いような気がします。
さらに「国分寺崖線」という断層があり、坂が多い所もぴったりです。ただ、ああいうイメージの踏み切りが存在しないのです。中央線であのイメージに最も近い踏み切りは、おそらく、小金井街道踏み切りで、するとあの絵は武蔵小金井だと考えればいいはずです。関東バスのエリアという点でもばっちりです。
(8巻205ページ最初の絵のバス停に、「関東バス」の文字。エリアは、割と狭くて、武蔵小金井から新宿を中心に、花小金井から下落合、保谷、大泉学園、中村橋から池袋です。)
またこの駅は今でも階段無しで入場できる改札もあります。
そこで、武蔵小金井と国分寺の間は2.3km
一刻館は、その中間よりすこし東側に存在し、買い物は武蔵小金井に行き、池袋へ向かう時は国分寺(=時計坂)から西武線利用(そっちの方が安上がり)をしていたと考えるのはどうでしょうか。


管理人から

 TVアニメの第1話に三角屋根の時計坂駅舎が描かれていますが、手元の資料にある武蔵小金井駅の写真(どうしても話がそっちに行ってしまうなー……ポリポリ)と見比べてみますと、確かによく似ています。駅前広場までバスが入っているのもポイントですよね(西武東久留米駅の駅前広場は乗用車が転回するのがやっとです)。というわけで、TVアニメの設定としてはこれはかなり有力な意見だと思います(原作とアニメを混ぜるのは、やはり問題があると思います)。
 ところで、これを書いている最中に一つ上のメッセージが届きました。こちらの方も併せてご覧いただくとよろしいかと思われます。

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1997.12.24 チョジョンミンさん

どうも、はじめまして。チョと申します。
いや~凄いですね。本当。本場だからこその強さ(?^^;)というのが感じられます。ファンとはいっても僕のような外国人としては第一日本の地理があまりわからないので、そういう設定の元をたどることなど、とても真似の出来ないことですし。それに国は違っても感じる疑問があまりにも似ていたのもびっくりしました。(例えば惣一郎さんの命日が4/15なのか4/19なのかの論争(?)など。僕も昔、国でネット仲間と似たような話しをした覚えがあります。)
とにもかくにも、高橋先生とめぞん一刻に関わってもう8年、韓国のネットでのID(日本ではハンドル名とかいうのでしだっけ)も8年前からmaisonのままです。その時は8年後の自分が日本の大学で日本語とインターネットを使ってこんなことを書き込むことになるなんて想像もできないことでした。なんか感無量です。因みにですが、二人の娘の春香ちゃんの名前のこと。実は韓国の中世小説の一つに「春香伝」というのがあります。ちょっと前にCLAMPがめちゃくちゃな脚色で変な退魔物として単行本を出しましたけど、もともとは全然そういうもんじゃなく、切ない恋物語ですので。それはさておき、偶然とはいえ、韓国人なら誰でも知っているこの小説と「五代春香」という名前とは、並べてみるとちょっとドキッとしますね。では。


管理人から

 韓国の方から感想をいただいたのは今回が初めてです。
 残念なことですが、日本と韓国は、未だに過去の不幸な歴史を引きずったままの関係が続いております。それは芸術分野においても例外ではなく、日本発の芸術作品を韓国で公開するには今もなお厳しい制限を受けると聞いています。
 しかし、「めぞん一刻」はそのような制約を乗り越えて、韓国内でも受け入れられたのですね。私はそのことをとてもうれしく思いますし、「めぞん一刻」という作品のすごさを今更ながらに実感させられてもいます。
 韓国内でめぞん一刻に関するホームページは存在しているのでしょうか。残念ながらこのページをご覧になれる方はほとんどいないと思われますが、国は違っても、同じ作品を愛好する者同士、より活発な活動が行われることを願ってやみません。

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1997.12.21 G.Oさん

完結編で、ゆかり婆さんの手紙が二階堂の手にあるとき、よく見ると「新潟市太平」が見えます。

管理人から

 おや、これはまた唐突に具体的な地名が出て来ましたね(笑)。もうすっかり手になじんでしまった新潟市街地図を広げますと……何と、「大平」は新潟空港(市街地北東の海岸)のすぐ南に位置しております。
 うーん、確かに客は多いかも知れませんが、そんな騒々しいところにある店にも見えませんしねえ。完結編のスタッフはいったい何を考えてこの場所をセレクトしたのでしょう。いや、何も考えてなかったのかも(汗)。

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